1990年、当時のソ連・サハリン州に住む
コンスタンチン・スコロプイシュヌイ君
が大火傷を負って日本の病院で治療を
受けました。

全身90%の大火傷で一刻を争う
緊急事態でしたが、当時の日ソ関係は
緊張状態にあり入国にも困難が
伴いました。

そうした困難を乗り越えて
札幌医科大学附属病院に運ばれた
コンスタンチン君は一命を取りとめ
元気に回復しました。




Sponsored Links

現在は?

2017年で30歳を迎える
コンスタンチン君。

現在は結婚し、息子さんが
一人いるのだそうです。

大火傷を負った当時は3歳でしたから、
時の流れを感じますね。

運送業の仕事をしているそうで
立派に一家の大黒柱として
家族を養っているようです。

こうして元気に暮らしていることは
当時、搬送や治療に関わった
人たちにとっては何よりうれしい
ことでしょうね。

省庁の英断

コンスタンチン君の治療がスムーズに
行われた背景には各省庁が連携し、
すばやく対応したことが挙げられます。

まず、サハリンにいた日本人から
コンスタンチン君についての連絡が
北海道庁国際交流課へ入ります。

そこから外務省ソ連課へ連絡。

今度は外務省から法務省へ連絡が入り
入国についてビザなしでの受け入れを
許可します。

そして、北海道から海上保安庁へ
救援機を依頼。

こうしたやり取りが1日のうちに
行われました。

“縦割り行政”などと揶揄される
日本の省庁ですけど、このときには
連携してまさに即決していますね。

当時、いろいろ問題はあったと
思いますが、今となってはすばらしい
「英断」だったと言えるでしょう。

17060201

撃墜の恐怖

救援要請により千歳航空基地から
サハリンに向けて離陸した
海上保安庁の救援機。

ちなみに現地に向かったのは戦後初の
国産旅客機となった「YS-11」。

当時、ソ連の子供を救うべく飛び立った
のが国産旅客機のYS-11というのも
不思議な縁ですね。

しかし当時のサハリン上空を飛行する
ということはパイロットにとっては
考えられないことだったのだそうです。

それもそのはず、7年前には
ソ連空軍による大韓航空機撃墜事件が
起きており、領空に近づく飛行機は
問答無用で撃ち落される危険が
ありました。

人命救助とはいえ今とは違う日ソの
緊張関係の中で領空を飛ぶのは
相当な覚悟がいったでしょうね。

当時のパイロットものちにソ連空軍が
迫ってきたら引き返すつもりだったと
語っています。

幸いにしてソ連空軍のスクランブル発進
もなく、ユジノサハリンスク空港の近辺
までやってきますが、しかし当日の
天候は濃霧。

地上もまったく見えない状態
だったのだそうです。

1時間半もの間、上空を旋回して天候の
回復を待ったそうですが、もう燃料も
ギリギリ。

そんなときようやく空港が見えた
ことで着陸できたのだそうです。

事前に日本航空が持っていたアプローチ
チャートを手に入れていたことも
幸いしたそうですが、まかり間違えば
航空機事故が起きかねない情況だったん
ですね。

皮膚の移植手術

そうして札幌医科大学附属病院に
搬送されたコンスタンチン君。

全身の90%に火傷を負っており、
特に腹部・背中・尻が3度の熱傷。

熱傷も3度までいくと神経まで損傷して
痛みも感じなくなるそうですが、しかし
皮膚のすべてが損傷し、移植手術する
しか手がありません。

治療に当たった医師たちは遺族の同意を
得て、亡くなった方から皮膚の提供を
受けようと打診をかけたそうですが、
なかなか同意が得られなかったのだ
そうです。

まぁ臓器移植もそうですが、日本人の
死生観では抵抗があるのでしょうね。

そうして2日目にしてようやく東京の
病院から遺族の同意を得て皮膚を
提供してもらえるとの連絡を得て、
その翌日に移植手術が行われます。

手術から一週間後、移植した皮膚は
コンスタンチン君の体に無事定着。

一命をとりとめ、約2ヵ月後には
一般病棟へ移るとその1ヵ月後無事に
退院することとなりました。

当時のサハリンの医療水準は日本よりも
30年も遅れていたといいますので、
日本に来なければ確実に助からなかった
でしょうね。

多額の義援金

コンスタンチン君の治療代については
当時あつまった義援金により賄われました。

義援金の総額はなんと1億円。

彼を助けたいと思っていた日本全国の
人々の心意気を感じますね。

この義援金から治療代等をさし引いて
残った資金を元に基金が設立され、
北海道とサハリンの間で医療技術の
勉強会が毎年開催されているのだ
そうです。

こうした交流が生まれて、さらに
医療技術が高まるのは非常に
いいことですね。

両国の関係改善

このコンスタンチン君の救命救急の
一件は日ソ関係が改善されるきっかけ
にもなりました。

利害関係抜きの人命救助だったことが
よかったのかもしれませんね。

コンスタンチン君の母・タリーナさん
はのちにコンスタンチン君にとって
日本は「第二の祖国」とも
語っています。

そう言ってくれることは日本人として
素直にうれしいですね。

現在も日本とロシアには領土問題などの
難題がありますが、こうして結ばれた
絆の物語を忘れずに今後も良好な関係を
築いていってもらいたいですね。

スポンサードリンク