京都で200年以上の歴史を誇る
お茶屋・富美代(とみよ)。

伝統あるこのお茶屋の
8代目の女将が太田紀美さんです。

1974年に女将となって以来、
40年以上に渡って富美代と
京都・花街の伝統を守って
きました。




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プロフィールについて

太田さんは1940年生まれ。

家訓により代々家督は女が
継いできたため、太田さんも
生まれながらにして女将になる
定めだったそうです。

京都女子高校を卒業後し、
洋裁学校に通います。

その後、東京・台東区にある料亭
亀清楼(かめせいろう)で修行。

亀清楼は柳橋にある創業・安政元年
という老舗中の老舗。

森鴎外や永井荷風といった
文豪の作品にも登場するのだとか。

それだけ伝統と格式のある料亭で
修行を積んだのですね。

1961年より若女将として富美代に戻り
1974年より8代目の女将として店を
切り盛りしています。

ちなみに富美代は1800年代に富田屋
という大きなお茶屋から美代という
仲居頭が暖簾分けしてもらったことが
始まりなのだそうです。

本家の「富」の字と美代の名前を
合わせて「富美代」なんですね。

創業以来、「女系」という家訓は
守られており、代々女主人が店を
継承しています。

天皇家とは真逆の系統が
保たれているのですね。

太田さんは女将を継いだことについては
「天命」
と語っています。

家業を継ぐ運命の人はみんな
そう感じるのでしょうか。

ちなみに9代目は娘の直美さんが
継ぐ予定となっており、現在
富美代で若女将を務めています。

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八坂女紅場学園について

太田さんは富美代の8代目女将を
務める以外にも八坂女紅場学園
(やさかにょこうばがくえん)
の理事長も務めています。

この八坂女紅場学園は明治に
創設された芸妓・舞妓のための
施設です。

学園といいつつ一般の学校とは違い、
祇園の芸妓・舞妓全員が生徒であり、
年齢も15歳から80歳以上と幅広く
なっています。

舞、鳴物、茶道、三味線が必須科目
となっており、ほかにも能楽・長唄・
笛・華道・書道・絵画など科目は
多岐に渡っています。

まぁこれは芸妓・舞妓が芸を身に
つけたり、磨いたりするための
研修所というわけですね。

実際、教室に机を並べて大勢で授業を
受けるわけではなく、いわば先生との
個人レッスン。

それも来るのが早い者順で
稽古をしてもらえるのだとか。

こういうところがいかにも
日本的ですね。

ちなみに先輩の芸妓さんなどと
かち合ったら後輩が順番を
譲るのだそうです。

あとからあとから先輩が来たら
後輩はどんどん後ろにいっちゃう
ことになりますね。

これもある意味で日本的とも
言えますが。

基本的に芸妓・舞妓である以上は
生徒であり、卒業するということは
芸妓・舞妓を辞めたときということに
なります。

この八坂女紅場学園が花街の伝統や
格式を守るための重要な役割を
果たしているといえるでしょうね。

お茶屋で遊ぶには?

有名な話ですが、京都のお茶屋で遊ぼう
としても基本的に「一見さんお断り」
となっています。

これはお茶屋が料理や酒代、芸妓・
舞妓への支払いなど諸々の経費を
先払いするため、信用できない
お客は店に通さないという
歴史に由来しています。

後日、お客から回収できなかった
料金はすべてお茶屋の自己責任。

そうなれば当然、お茶屋も
お客を選びますよね。

ですので、なじみのお客さんの紹介が
あって初めてお茶屋で遊ぶことが
できるようになっています。

まぁ早い話がお茶屋で遊びたければ
遊び慣れているような人と知り合いに
なるしかないですね。

基本的にお茶屋では料理は料亭などに
外注し、芸妓・舞妓も外注。

いわばお座敷を貸し出して
必要なものを手配するイメージ。

お茶屋が仲介というかコンシェルジュ
のような役割を果たしているわけ
ですね。

極端な話、お座敷にフレンチや
イタリアンを用意してもらう
ことも可能。

お客様の要望には何でも応える
究極のサービス業ですね。

ちなみに富美代は祇園でも5本の指に
入るほどの大きさと格式を誇る
お茶屋なのだそうです。

ますます気後れしてしまいますね。

富美代の入り口には「富」の字を
染め抜いた暖簾が掛かっています。

生涯でこの暖簾をくぐることが
できる人はよほどの幸運の持ち主か
財を成した成功者なんでしょうね。

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