1977年9月28日に発生した
ダッカ日航機ハイジャック事件。

乗員・乗客合わせて151名を
人質にしたこの事件。

当時の福田赳夫首相が
「一人の生命は地球より重い」
として超法規的措置が取られた
ことでも有名です。




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犯人たちのその後

5名の実行犯のうち2名が現在も
国際指名手配されて国外逃亡中。

残りの3名は逮捕され、刑務所に収監。

その内の1名は病のため
医療刑務所にて死去しています。

逮捕された3名もハイジャック事件後は
海外で活動していましたが、
後年になって旅券偽造や国外追放
といった処分を受けて日本で
逮捕されるに至っています。

やはり天網恢恢ということ
でしょうね。

現在も逃亡中である2名も
生きていれば70歳。

そのうちの一人はあの
「あさま山荘事件」
を起こした坂東國男。

一時は同事件で逮捕されますが、
1975年のクアラルンプール事件
により釈放され国外逃亡。

そして、このハイジャック事件を
起こしています。

クアラルンプール事件で
釈放さえしていなければ・・・
と悔やまれますね。

警察もやはり坂東については
今でもかなり執着していて、
「逮捕されるまであさま山荘事件は
終わらない」と考える向きも
あるのだとか。

ちなみに坂東の実家は旅館を
営んでいましたが、あさま山荘事件を
苦に父親は自殺。

現在は旅館も廃業しています。

家族をも苦しめた上、
今も国外に逃亡中の坂東。

齢70になって今なにを思うのか。

悔い改める気持ちが少しでも
あるのであれば命尽きる前に帰国して
その口で真実を語ってもらいたい
ですね。

  • 丸岡修 服役中に病死
  • 和光晴生 服役中
  • 西川純 服役中
  • 佐々木規夫 国外逃亡中
  • 坂東國男 国外逃亡中

17051101

事件のその後

日本政府はハイジャック事件の交渉に
あたったバングラディッシュ政府に
特使を派遣。

この事件の隙をついて軍事クーデターも
起こったため、お礼と共にお詫びも
しています。

バングラディッシュも他国の
反政府組織との交渉を任されて、
さらにその事件が元でクーデターまで
起きるなんて本当にいい迷惑だった
でしょう。

実際にこのクーデターで死傷者も
出ていましたが、バングラディッシュ
政府は日本に対して補償などは一切
求めてこなかったのだとか。

一見、バングラディッシュがとても
寛大な国に見えますけど、国の威信・
プライドが少なからずあった
のでしょうね。

事件後、同事件を教訓に警察では
テロやハイジャックにも対応できる
特殊部隊を創設。

のちに「SAT」と呼ばれるようになり、
1995年の全日空857便ハイジャック事件
では実際に機内へ突入し、犯人逮捕と
人質救出に活躍しました。

ちなみにこの特殊部隊創設を
指示したのが警察庁長官や
国家公安委員長を歴任した
後藤田正晴氏。

さすが切れ者として名高かった
「カミソリ後藤田」ですね。

釈放要求されたメンバーについて

事件当時、犯行グループより
釈放要求されたのは9名。

うち3名は自ら拒否し、
6名が釈放されるに至りました。

そのうち3名は現在も国外逃亡中。

残りの3名は逮捕され刑務所で服役、
1名は満期ですでに出所しています。

こうして3名がまだ国外逃亡している
ことからしてもこの事件はすべてが
終わっていないと言えるでしょうね。

恩人との再会

2017年5月8日、事件の際に実行犯と
交渉にあたったバングラディッシュの
元空軍参謀長マームド氏が来日。

マームド氏は日本政府との交渉を
拒否した実行犯との交渉役を担当。

人質の一部開放と移送先での解放
ということで実行犯との話を
まとめました。

しかし、交渉中にクーデターが
発生し、マームド氏自身も
負傷したため、その後は部下が
代わって交渉にあたったとのこと。

今回は旭日重光章の受章にあたって
来日し、当時の人質だった方々や
政府の派遣団長を務めた石井一
元衆院議員と再会しました。

当時、マームド氏が先頭に立って交渉に
あたったのは少なからず功名心が
あったようですが、人質だった
人たちにしてみれば恩人には
変わりないですね。

皆さんと平和の中で出会い、楽しく語り合えたことに心から感謝しています

と語ったマームド氏。

他国を巻き込んだ重大事件では
ありましたが、こうして関係者同士で
交流が続き、ゆくゆくは両国間の
友好にもつながるといいですね。

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