現在、彫刻家として芸術の世界で
活躍する小野節子さん。

曾祖父は安田財閥の創始者・安田善治郎、
姉はあのジョン・レノンの妻だった
オノ・ヨーコさんという家系に
生まれました。




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華麗すぎる一族

祖父の小野英二郎は日本興業銀行の
第四代総裁、父の英輔氏も東京銀行
(現・三菱東京UFJ銀行)の常務を
務めた銀行家の家系でもありました。

節子さんが世界銀行に勤務したのも
血筋がそうさせたのかもしれませんね。

また伯父の安田岩次郎は画家、
同じく伯父の安田周三郎は彫刻家、
伯母の小野アンナはバイオリニスト、
従兄弟の石井茂雄は画家。

まさに芸術家としてのDNAも
ハンパないですね。

ちなみに夫のピエロ・
グライエーゼンさんはイタリア人で
ジョンズ・ホプキンズ大学大学院で教授を
務める中南米・アメリカ外交史研究家
なのだそうです。

世界銀行に勤務

そんな家柄に育った節子さんは
幼少期から様々な習い事をするなど
英才教育を受けて育ったのだそうです。

そして、聖心女学院大学に進学。

卒業後に、スイスのジュネーブ大学で
博士号を取得したのち、1976年に
世界銀行へ入行します。

同銀行は普通の銀行と違って
各国の中央銀行に対して融資を行う
国連の専門機関です。

かつて戦後の日本も復興にあたって
融資を受けていました。

現在も発展途上国を中心に
融資を行っています。

そうした特殊な金融機関であるがために
国や企業の後ろ盾がなかった節子さんは
想像を絶する困難があったのだとか。

まぁそれぞれの国の国家プロジェクトに
関わるわけですので、そこは利権や
政治の圧力などがひしめき合う
いわば魔窟だったわけですね。

入行後すぐにアフリカ北西部の
モーリタニアに赴任。

アフリカ・中南米地域業務局で
貸し出し業務や公共機関などの
改革への援助を担当します。

生活習慣も文化も違う海外での
苦労は相当なものだったでしょう。

時間をかけたプロジェクトが
一瞬でご破算になったり、
上司や同僚から厳しい言葉や
圧力を受けることもあったのだとか。

並みの人間なら精神を病んで
しまいそうですね。

297px-World_Bank_building_at_Washington世界銀行本部(ワシントンD.C)

芸術の道へ

そうして世界銀行に勤務する中、
節子さんは同行のあるワシントンの
コルコラン美術学校の夜間コースに通い
彫刻を学ぶようになります。

のちに述懐する中で、彫刻に取り組む
ことによって精神をすり減らすような
銀行業務とのバランスをとることが
できたのだそうです。

仕事を忘れて没頭できるものがあった
というのは大きかったんでしょうね。

1991年より米州開発銀行に出向し、
2001年に世界銀行へ戻り、
シニアアドバイザーに就任。

世界銀行に入行した1976年から
30年近くに渡って銀行家として
勤務されました。

男性でもつらそうな過酷な仕事を
数十年続けてこられたというのは
本当にすごいことですね。

銀行を退職してからは芸術家に転身。

個展を開くなど世界で
活躍されています。

最初は銀行家のDNAが働いていましたが
その後は芸術家のDNAが生きている
感じですね。

70歳を超えられて、いまだグローバルに
活躍されている小野節子さん。

そのアグレッシブな生き方に
心から敬意を表したいですね。

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